一般には鎌倉将軍家は、初代頼朝死後すぐに北条氏に実権を握られ、二代目頼家や三代目実朝は傀儡将軍に過ぎなかったというように言われていますが、本書に寄れば実際には頼家や実朝はしっかりと将軍としての権力を握り、北条氏は他の御家人との勢力抗争で苦境にあったようです。
実朝亡き後、藤原氏の子息を将軍に立てた摂家将軍、その後に天皇家の親王を将軍に立てた親王将軍に続くのですが、これも元々は子のない実朝が鎌倉幕府の権威が続くように画策していたことのようです。
征夷大将軍というと、江戸時代の徳川将軍家のような絶対的な実力と権威を持つ存在のように思われるかも知れませんが、鎌倉幕府が開かれた時にはまだそのような権威は存在しておらず、三代に亘っての朝廷とのやり取りの後に生まれてきたものです。
「征夷」大将軍なのも、他の将軍名跡は反逆者として抹殺された木曾義仲などに贈ったことがあって縁起が悪いからということで、そういう前例のない征夷大将軍が選ばれただけだそうです。
歴史を紐解くには残された資料しかないのですが、その資料が時の権力者に阿って脚色をしたり都合の悪い部分を改変したりというのも当然あって、本当のところはどうなのかを調べるのは大変なことです。
本書では鎌倉時代の歴史資料として有名な「吾妻鏡」の虚構を、同時代の「愚管抄」や他の資料と比較し、暴いておられます。
この辺りの解釈の仕方は、研究者毎に違いはあるのでしょうけど、読む限りでは筆者が恣意的に北条氏や吾妻鏡の作者を貶めようとはしておらず、冷静に他の文献との違いから真偽を問われているように感じました。
なかなかこう冷静かつ客観的で公平に、判断をできる人は少ないと思います。