2021年4月4日日曜日

京都はユダヤ人秦氏がつくった / 田中 英道

平安京が秦氏の支配地に作られたのは知っていましたが、高田崇氏は、それを朝廷が秦氏を虐待したとして描いておられましたが、本書ではむしろ秦氏が率先して土地や資金を提供したと書かれています。
実際、それだけの資金力を持っていたなら、数が少ないとはいえ、朝廷に言われるがままに財産を奪われるのは不自然ですし。
当時の朝廷が余程の軍事力を持っていたのなら分かりますが、実際には当時の朝廷にはそんな軍事力などはなかったはずですし、そもそも軍隊を動かす資金は度重なる遷都で底を付いていたはずですし。

秦氏がユダヤ系かどうかは私には判断しかねるのですが、日本の古代神道にはユダヤ教や原始キリスト教の影響が見られるのは間違いなく、ユダヤ人が古代日本に入り込んできた可能性は高いとは思います。
(ただ、インド仏教が伝来してもインド人は日本に来ていない例もあるので、ユダヤ教の伝来とユダヤ人の渡来は別問題だと思っています)

日本とイスラエルにしかない文化(「もったいない」というのは、日本人とユダヤ人にしか理解できない感覚だとか)や日本語としては全く意味不明なお囃子言葉がヘブライ語ではしっかりとした意味があること、最新のDNA解析でイスラエル人と日本人しか持っていないDNAがあることなどを考えると、ユダヤ人が日本に渡来していた可能性はありそうです。
正倉院には古代ペルシャの遺物が大量に保管されていますが、遺物だけではなくペルシャ系の人達も日本にまで来ていたという説もあり、であればユダヤ系の人達が日本に来ていても何ら不思議はないですから。


神を統べる者(一)-厩戸御子倭国追放篇 / 荒山 徹

単行本の文庫化ということで、月一ペースで3冊に分かれたシリーズが発刊されるようです。
文庫化に当たって特に加筆修正がされているわけではなさそうなので、単行本で買った人はご注意を。

荒山徹氏は、朝鮮を舞台にした或いは朝鮮絡みの時代小説を書かれていますが、本作は厩戸御子と副題になるので朝鮮は絡んでいないのかと思いきや、百済が思いっきり絡んでいました。
聖徳太子はいなかったという説を唱えておられる方がいますが、生前は「聖徳太子」とは呼ばれていなかったから「厩戸御子」と呼ぶべきだ、という謚を知らないアホな歴史学者のいうことなどは無視しましょう。
今に伝わる聖徳太子の個人の能力が余りにも高過ぎて人間の限界を超えているため、そんな天才が存在したはずはないという学者の劣等感から来る否定も、無視しましょう。

本書に書かれている厩戸御子は天才中の天才で、釈尊に匹敵する存在として描かれています。
そういう超絶的天才の存在を信じられない人は、当然釈尊も実在しなかったという説を唱えるんでしょうね。
天才というのは、周りが理解できないから天才であって、有名大学を卒業した程度の秀才の想像を超えるものなのですが、ある種の人達は自分よりも遙かに頭のいい人間が存在することに対して、緩いし難い憎悪を覚えるようです。
実在の聖徳太子が本書のようであったかどうかは分かりませんが、ここで描かれているくらいの天才であった可能性は高いと思っています。