2020年2月25日火曜日
ワン・モア・ヌーク
技術の進歩により、個人が核爆弾を製造するのも不可能ではない時代になりつつあります。
原子力発電用の低濃度プルトニウムでも核爆弾が製造可能な技術を開発した、という仮定の基に物語は進みます。
具体的に実在の半導体メーカーの名前が出て来るから、「え?もうそれ製造されて販売になったのか?」と思わされてしまいましたが、作者が本作を執筆中の予測で物語の年代には出ているだろうという予測で書いていたみたいですね。
残念ながら、スマホに搭載可能な原子時計は、まだ開発途上で後5年くらいは掛かる模様です。
まあその前に、原子爆弾を作るには充分小型で廉価な原子時計ユニットが発売になりそうですから、本書の技術が絵空事でなくなる日は近いのかも知れません。
#その場合でも、本当に低濃度プルトニウムで核爆発を起こせるのかは不明ですが。
でも本書の一番の問題は、一般の人々の放射能とか核とかについての無知さから来る、デマやら迷信やらについてですね。
先日もとあるテレビ番組で、福島第一原発に蓄積されたトリチウム(三重水素)の海洋放水について討論があったのですが、パネラーの知識人として出ている人達の何名かはトリチウムに関する知識ゼロで、「何だかよく判らないけど放射性物質を海に流すなんて気持ち悪い」程度のレベルでした。
経済とかの専門分野では有能な方でも、こと放射能になると知識がない、というのが日本の現状。
太平洋には大量のトリチウムが自然状態で存在していて、常温核融合が実現できれば燃料のトリチウムは太平洋からいくらでも抽出できて永久的になくならない、といわれているくらいなのですが、こういうことも一般の人は知らないんでしょうね。
「放射能レベルをゼロにしろ」という人も世の中にはいるんですが、そういう人がラドン温泉を愛用していたら、笑うしかないですよね。
信長の革命と光秀の正義 真説 本能寺 / 安部 龍太郎
「真説」と銘打たれているものの、決定的な資料があるわけではないので、氏の推定でしかないのはしょうがないですね。
まあタイトルは作者が付けるのではなく、出版社が勝手に付けたりすることが多いそうなので、「真説 本能寺」の部分は出版社が勝手に付けたのかも知れません。
実際、本文では「これが決定的な理由だ」というような断定は一切されておらず、公開されている資料を丁寧に解説し、結論に至までの道筋を極めて論理的客観的に説明し、そして氏の推理した結果を提示されています。
歴史家を称する人の多くは、こういう説明を殆どしなかったり、資料も自説に都合のよい部分だけをつまみ食いして、都合の悪い部分は知らんぷりしているものですが、氏の場合は自説に不利な資料の記載などもキチンと提示されていたりするので、信憑性が高くなるわけです。
物事を研究する人は、歴史に限らず、このようにありたいものです。
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