武田信玄は金山開発により資金を充分に持っていたから、武田領の年貢は他の大名の領地よりも軽かったという話を、以前聞いたことがあったのですが、本書によると間違いで重税だったようですね。
金山が枯渇した勝頼時代の話と混同しているのかとも思いながら読み進めてみましたが、信玄時代から(更にはそれ以前から)厳しかったようです。
山国で米の生産高が元々少ないということもあるんでしょうね。
それはさておき、戦国時代に終止符を打った織田信長と豊臣秀吉は、農民からの米徴収よりも、商人からの冥加金を重視していたようで、それが他の大名を圧倒できた理由のようですね。
せっかく重商主義による資金の調達は非常に効率がいいということを示してくれたのに、徳川家康は(というよりはその子孫か)米の年貢を政策予算で賄う方法に回帰してしまったわけ。
江戸時代の商業は、世界でも類がないくらいの発達を遂げるのですが、そこで生み出される莫大な資金を、江戸幕府は放置していたんですねぇ。
戦国時代の知恵が、今の時代にも伝わっていれば、もっとまともな政策が取れたんでしょうにねぇ。