2017年10月12日木曜日
利休の闇 / 加藤 廣
利休居士こと千宗易が、何故に豊臣秀吉の勘気を被り、処刑されることになったのか。
今でも謎とされています。
本作の説は、かなり説得力があると思います。
当時の茶会の記録を丁寧に読み興し、そこから当時の事実を掘り起こし、本作は書かれています。
かなりの苦労作と後書きにありますが、実際読んでいても、これだけの記録を丹念によく追えたなと思います。
ただ一点、本筋とは無関係なのですが、最初の方に「そこからメシ盛り椀を古くから茶碗といった。」という一説があるのですが…飯椀を茶碗と呼ぶのが古くからというのは??でして。
今の時代に一般的に単に茶碗というと「飯茶碗」を指します。
煎じ茶を飲むのは湯飲みですが、正式には「湯飲み茶碗」と呼びます。
ご飯を食べる椀を「茶碗」というのを、以前から不思議に思っていたのですが、陶器のことを「茶碗」というのでは?ということに気が付いて、自分的にはそれで一見落着していたのですが、この記述を読んで???となっています。
入れ物を指す「椀」という字も、木偏と石偏の「碗」とあるのですが、「椀」は昔ながらの木を削り漆塗したもので、「碗」は釉薬を掛けた焼き物になります。
日本で陶器が一般に普及し、茶道で使用する茶碗以外にも使われるようになったのは、江戸時代になってからのはずなので、氏の説には納得がいかないんですよね。
もう一つ気になったのが、金貼りの茶室の件です。
こちらは氏のおっしゃるとおりかと思いますが、現代の電気照明がたっぷりとある環境に慣れていると理解しにくいですが、当時の上流階級が済む屋敷は、昼間でも奥へ行くと結構暗いです。
ましてや夜に蝋燭や行灯による照明というのも、かなり暗いです。
その暗い中で観る黄金の茶室というのは、明るい場所で観るのと全く感じが異なり、今の感覚でキラキラの成金趣味と思われているのは、現代人の誤った先入観ですね。
当時、禁中などでも金屏風が使われていますが、そちらは何故か成金趣味とは言われませんしね。
2017年10月10日火曜日
世界一非常識な日本国憲法 / 長尾 一紘
ケント氏の著書で、日本の憲法研究家というのは現行憲法の文面の研究家で、世界の憲法を研究している人はいない、というようなことを言われていました。
本書で批判の対象になっている、憲法研究者(故人)はその時の権力に阿る発言で、戦前と戦中、戦直後、戦後と言を左右する方だそうですが、何故か今の日本ではその方の提言(というか読んでいても、ほとんど妄言としか思えない酷さなのですが)が主流派になっているそうです。
現行憲法の改憲反対派(所謂、護憲派)というのは、なんというか、GHQとマッカーサーが神様で、その神様の作った現行憲法は人が勝手に変えてはならない聖書扱いしているんですよね。
憲法というのは、その国の成り立ちと歴史によって成立するものなのですが、それすら知らないのか?と疑問に思います。
そもそも日本の歴史をちゃんと勉強したのか?というような的外れなことばかり。
いつも思うのですが、護憲派の人達は、共産主義国家のスパイとしか思えないです。
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