2019年2月21日木曜日

信長になれなかった男たち (戦国武将外伝) / 安部 龍太郎



ちょっと前に、信長はなぜ葬られたのか 世界史の中の本能寺の変 (幻冬舎新書)を読んだところですが、早くも続巻を刊行されました。
本書も小説ではなくエッセイになっています。

戦国武将について色々と書かれているのですが、通説では当時の領地争いは農地(米)を如何に多く分捕るかが目的だったように言われていますが、実は物流(特に海運)の拠点を押さえることが目的だったと書かれています。
実際、室町時代の日本の商業と流通は、世界でもトップクラスの洗練されたものだったのですが、あまり言われないんですよね。
どうも共産主義者のプロバガンダのせいか、古代から士農工商という身分制度がずっとあったように錯覚されているみたいですが、士農工商は江戸時代以降ですし、その江戸時代も実はあまり身分制度は厳密ではなかったと言われています。(裕福な農家が、貧乏な武士から士分の株を買って武家になるという例も結構あったらしい)
海運という視線で当時の日本を見ると、海外(朝鮮、宋だけでなく、葡萄牙や西班牙も含めて)との貿易が活発に行われていたことが分かります。
どうも江戸時代の鎖国というイメージがあるせいか、その直前の室町から安土桃山時代の海外貿易については軽視されているように思います。

それはさておき、書かれている内容に、ちょとこちょこと通説と私が思っていたものと異なることがあるのですよね。
読んでいて、歴史を専門にされる教授方の唱える通説の方が、やっぱり変だよなと感じるんですよね。
例えば、信長が桶狭間で今川義元を打ち破った時の混乱に乗じて、まだ今川家の人質同然だった徳川家康(当時は松平ですが)が今川家から岡崎城を取り戻した、というのが通説(で、大河ドラマでもそう描かれていたの)です。
が、この本では、それよりも5年前に家康は岡崎城の城主として戻っていた、とあります。
戦に参加するのには兵が必要で、今川家の人質或いは客分だと自前の兵は揃えられないわけで、今川家から借りた兵だと岡崎城を取り戻すのは不可能ですね。
そう考えると、戦に参加するための兵を揃えるために岡崎城に戻されていて、桶狭間の戦に武将として参加できたという方が自然です。
この辺りも、(今も大切に残されている数多くの)当時の武将達の手紙とか書状を丹念に調べれば、確かなことが分かるはずですが、意外とそういう調査を学者先生方は行わずに、読みやすい二次三次の資料ばかりでご高説を述べられたりしているんでしょうかね?
ちなみに、安部氏は書状などの一次資料を丹念に読んで調べられているとのこと。

2019年2月17日日曜日

天皇即位と超古代史 「古史古伝」で読み解く王権論 / 原田 実



タイトルに「古史古伝」とありますが、所謂「偽書」と呼ばれるもの&書かれている内容についての考察をされています。
所謂「偽書」と呼ばれている文書は多いですが、書かれている内容を見る限りでは、後代(殆どは江戸時代から明治時代)に作成されたと推測されるものばかりですね。
まあ、正史である記紀にしても、私は原書を読めないので、翻訳文とか解説書に頼るしかないのですが、その翻訳文や解説書もどこまで原書を忠実に現代語に再現しているか疑わしいところはありますが…そういう点で、古代の言い伝えが紙と墨で漢字を使って書かれるまでに、口伝の時代が何百年か経ているはずですし、写しを作るときも原書をそのまま写さずに、写しを書いた人の勝手な解釈による変更修正などもあり得る訳なので、辻褄が合わないから偽書だ!と一概に切り捨てるというのも難しい部分ではありますけどね。
#ちなみに仏典も、釈迦入滅後、弟子により数百年間口伝が続き、その後に文字記録としてまとめられ、三蔵法師が唐に持ち帰って漢訳を行い、空海や最澄が日本に写経を持ち帰っているので、釈迦の言葉が現代に正しく伝わっている可能性がどれくらいなのか…。

まあいずれにしても、人は自分の信じたいものしか信じないので、元の文書があったとしても、伝わる内に内容が全然別のものになってしまうものなのです。