2014年12月31日水曜日
失われたミカドの秘紋 エルサレムからヤマトへ−「漢字」がすべてを語り出す! / 加治将一
まつろわぬ歴史作家の「禁断の歴史」シリーズ第4弾です。
単行本から大幅な加筆訂正をされているそうです。
久しぶりに加治氏の作品を読みましたが、今までの常識からするとトンでも本として扱われる内容ですが、思わず納得できてしまう辺りは、作者の考証がしっかりしているからでしょうね。
大陸の古代からの政権が度々代わっていますが、所謂「漢民族」が支配者であったことは、清王朝滅亡以前にはなかったことが、明らかにされています。
今の大陸政府の支配者が自らを「漢」民族と称し、如何にも「大漢帝国」以来の大陸の支配者であったかのように喧伝していますが、それが全くの出鱈目であることは間違いのないことなんですよね。
半島の政府が「大韓帝国」→「大韓民国」と称するのも、「大漢帝国」と同じ音で、その威光を借りようとしているのかも知れませんが(苦笑)
色々と内容がてんこ盛りなのですが、大和言葉のルーツがアラム語やヘブライ語にあるとか、古代キリスト教が浄土教の元になっているとか、なかなか興味深かったです。
(戦国時代の浄土教信者の狂信的な戦闘は、今のイスラム教徒のテロ活動を連想させられるものがありますしね)
神武東征はモーゼのエクソダスを丸写ししたものだ、という説があるのですが、ここでは特に神武天皇とモーゼの同一性については触れられていないのが、ちょっと残念でした。
また古事記の神話がギリシャ神話にそっくりであるという説もありますが、それにも特に触れられていないです。
記紀が成立した頃には、日本にも西洋文化が中国経由で入ってきているのは間違いないことなので、記紀の編者がギリシャ神話、ユダヤ教聖書(キリスト教の旧約聖書はこれのダイジェスト)、キリスト教聖書、コーランなどを読んでいても不思議ではないです。
(ただ、それならば、正倉院なり朝廷なりに、これらの文献が残っているはずなのですが、そういう話は聞きません。明治政府が密かに消し去ったのか、秘蔵されたまま知らんぷりしているのか)
卑弥呼の時代よりも遙かに以前から倭国が半島に攻め入って、半島の南部を支配していることが、韓国の正史に記載されているという話は、ちゃんと読むのは初めてのように思います。
「倭国」が日本列島にあった政府かどうか疑わしい部分もあるのですが、「海を渡って」攻めてくるのだから、列島にあった可能性は高いですね。
まあ実際に半島の南部を奪い取って支配権を持っていた時期があったから、半島南部が「倭国」であったのは事実なので、「倭国」が半島南部の政権か列島の政権かという議論は、意味がないことになりますからね。
こういう事実があることを、今の日本人は目を瞑らされているわけですな。
神功皇后の三韓征伐が「神話で全くの出鱈目」というのは、逆に根拠のない出鱈目説になるわけですね。
これは明治政府が三韓征伐を根拠に、半島を併合したことに対する反動から来ているのでしょうけど。
古代の日本政府が半島に対して大きな力を持っていたことは事実です。
例えば天智天皇の時代に、百済の皇子余豊璋が大和に「人質」として住んでいたことは、間違いのない事実なわけで、逆に日本から百済や他の半島政府に人質を出していた様子はありません。
日本政府の公式な式典に、半島各国の大使が列席しているのも事実ですが、日本から半島政府の公式行事に使者を送っている記録はあまり見ません。
半島の各政府と日本政府のどちらが上位にいたか?
これらの事実から考えればわかりそうなことなのに、今の日本の常識ではそうなっていないのですよね。
他にも色々と書きたいことはありますが、まずは本書を読んで貰わないと話にもならないので、日本のルーツ、大和言葉のルーツを知りたい方は、是非ご一読を。
2014年12月28日日曜日
【くるまのおと】別冊 水野和敏 ベストカー情報板
両誌に発表が出ていますが、元GT-R開発主査 水野和敏氏が、いよいよ新しいクルマの開発に乗り出しました。
台湾の自動車メーカーとタッグを組んで、これまでにはない新しいクルマを創造するのだそうです。
まだ詳細は発表されていませんが、台湾メーカーと組んだのも、アジア圏という枠で考えての結果だそうで。
この方の考えることは、常人には創造が付かない領域にあるので、今後数年間の活動を大人しく見守りたいと思います。
羅針 / 楡周平
船乗りの物語です。
日本は海で囲まれた海洋国なのに、最近では相対的に人件費が高いため、水産業や海運業に携わる人達を賃金の安い国の人達に替えていく傾向にあります。
でも日本の生活は海運に頼っているわけですし、食生活も漁業に高く依存しています。
船乗りを育てるのは、非常に時間が掛かります。
単に賃金の安さだけで、日本人の船乗りを育成することを止めてしまったら、将来的にどうなってしまうのか。
日本の政府はそういうことは全く気が付いていないでしょうけどね。
それはさておき、本小説のテーマは実はそういうところにあるのではなく、親父の背中を見て男は育つ、というのがテーマのようです。
タイトルとそれがどう結び付くかは、最後の最後で出て来ます。
私はあまり父の背中はみてないので、何とも複雑な思いをしつつ、巻末の部分を読んでいました。
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