2010年12月11日土曜日

古代史犯罪 邪馬台国論争と「バカの壁」 / 山形明郷



著者は既にお亡くなりになられており、その遺稿を知り合いの方がまとめられて、発刊されたものですが、これまでの古代日本史の常識と覆す内容です。
古代日本と韓半島の情勢について、違和感があったことの一部がこの書を読んで納得がいきました。
日本=倭というのは、やはり根拠がない思い込みなんですよね。古代日本が「大和」を称し、「和」と「倭」が同じ音だからということで、倭すなわち古代日本とされているのですが、そもそも古代中国では「倭」を「わ」とは発音していなかったみたいですしね。
古代韓国が現在の韓半島にあったというのも、韓人と呼ばれる民族がずっと同じ場所で生きてきたはず、という思い込みだけで決めつけられていて、遺跡的な根拠があるわけではないと。
それもこれも、邪馬台国=日本という思い込み(というよりも、古代日本が古代中国文献に大々的に取り上げられているべきだという願望)が元でしょうし。さらには金印が志賀島から発掘されて、そこが奴国であるとされてしまっていることにも問題があるのです。

とはいえ、本書でまとめられている18編程の小論文が、すべて賛同できるかというと、お互いに矛盾と思われる記述もあるので、検討も必要かと思います。
玄界灘を越えて日本へ攻め込むのは鎌倉時代の元でも無理だったから、古代に日本と韓半島の間で侵略があったというのは不可能だろうということを再三述べられているのです。
しかし別の論で、大陸北方の騎馬民族が日本海を渡って東北地方を占拠したのが蝦夷で、アイヌのことではないという記述があります。玄界灘もろくに越えられないはずなのに、日本海を越えて騎馬民族が大量にやってきていたというのは、どう考えても矛盾するのですが。
私は古代にはかなり発達した海上交通網があったと考えていますので、玄界灘を行き来するのは普通に行われていたと思います。とはいえ、誰でも簡単にできたわけではなくて、海を知っている一族のみができたことでしょうし、そのノウハウを簡単に陸の民族に教えたりなどはしなかったでしょう。

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