古代から中世において、半島や大陸の国家との外交を担った一族が、半島(主に百済)出身の家系であったという説を述べられています。
まあ不思議ではないですよね。
百済王(くだらのこにきし)という氏族がいたのですが、これは白村江の戦いの時に日本が新王として担ぎ出した(日本に滞在していた百済王子である)余豊璋の弟の、余善光という人の子孫だそうで。
余豊璋の弟も一緒に日本に(人質として)滞在していたのは、初耳だったのですが、百済王家が高級貴族として遇され、(百済が滅びてからも)天皇家に女御を出していることを考えると、日本の王家と百済の王家は親密以上の関係にあったんでしょうね。
#とはいえ、余豊璋の兄が天皇家を乗っ取って天武天皇になったという説は、それにしては百済王家の地位が低いことを考えると、あり得んということになりますね。
また半島出身の氏族が、中国の皇帝の子孫であると詐称(という筆者の見解)をして、自分達の血筋が貴いものとして、地位身分を上げて貰おうとすることが共通しているのは…なんか現代韓国人が詐称する自国の歴史に似た感じで…(以下自粛)
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