2020年1月29日水曜日
白村江 / 荒山 徹
荒山氏の小説を読むのは久しぶりです。
別に避けていたわけではなくて、新作が文庫で出てこなかったからで。
本書は、天智天皇がまだ皇子だった頃に、百済救済というか再興のために半島へ出兵した「白村江の戦い」を描いた物語です。
あまり世間では言われていないような気がしますが、この出兵は結構謎なのです。
・いくら倭国が親百済国だからといって、一度潰れた国を再建するために出兵するという動機が不明。
・唐と新羅を相手に戦ったにも関わらず、その後は盛んに遣唐使を送っており、戦をしたとは思えない良好な関係を保っている。
・新羅とも、戦の後は人が盛んに行き来し、良好な外交関係を保っている。
・担ぎ出された王子、余豊璋の行方どころか生死すらさっぱり不明。
・日本に残された豊璋の弟は、百済王(くだらのこしきに)の姓(かばね)と、現在の大阪府枚方市に小さいながらも領地を貰って日本の貴族になれども、子孫はいつのまにやら行方不明。
などなど。
また数万人(数十万人という説もあり)にもおよぶ大量の百済人難民を、倭国が引き受けてます。
当時の百済の国土面積と人口密度を考えると、戦乱で生き残った百済民のほぼ全員といってもいいくらいが、日本に流れて来ている。
#そういう意味では、百済の正統な子孫は日本人として生き残っているということになりますね。
氏の描くストーリーは、これらの謎をうまく説明してくれるのもので、実際にそうだったかも知れないと思われてしまいます。
ただ一つ、日本には豊璋の弟である、百済王子が残っていたことが書かれていなく、まさかと思いますが作者は知らなかったのか?
ちょっと気になったのですが、氏はこれまでの作品では、「百済」を「ペクチョ」、「新羅」を「シルラ」と現代韓国語読みでルビを振っていたと思いますが、本書では「百済」を「ひゃくさい」、「新羅」を「しんら」とルビを振っています。
当時の百済語や新羅語では、そう読んでいたという仮定で、そうされているのかなぁ?
半島の現代人はあまり認めてないようですが、百済語、新羅語、高句麗語は別々の言語で、現代朝鮮語/韓国語ともまた別系統の言語です。
#新羅語が現代朝鮮語/韓国語の母語の可能性はありますが…後に高麗に攻め滅ぼされるわけなので、高麗語こそが母語として現代の半島の言語になったはず。
また本書では、百済と高句麗は大陸北東部の民族の国であるのに対して、新羅こそは韓半島に古くからいる韓民族である、という新羅人の主張が書かれています。
現代の半島の学者さんは、百済や高句麗も韓民族であると主張されているようですが、この認識の方が正しいはずなんですよね。
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