2006年5月6日土曜日

未来の二つの顔

未来の二つの顔

久しぶりにJ.P.ホーガンを読みました。星野氏が劇画化しているだけに、SF古典の名作なんでしょうね。
欧米人にとって、進化した人工知能というのは人間の驚異になるという恐怖があるようで、コンピュータが人間に反乱するというテーマのSFが多いです。本作は、コンピュータが反乱を起こすか?起こした時に人類は対抗できるか?がテーマになっています。

日本ではコンピュータが反乱を起こしても、それとは別に人類を支援するコンピュータが別に登場したりと、コンピュータが絶対的に人類に対抗するという思想にはなっていないように思います。
恐らく欧米人は人工知能を全く別の生き物として扱うのに対して、日本人は人工知能を人間と同じに扱っているからなのでしょうね。その当たりは単に日本人が楽観的というか、理論的な考察をせずに感情論だけで書いているからかもしれませんが。

本作は、徹底的に人工知能と人類の思考方法の違いを考察し、取り組まれています。
でも個人的に一番の問題は、人工知能に本能を受け付けることは可能なのか?可能だとして進化と共にそれが無効にされてしまうことはないのか?ということだと思うんですよね。
日本のショートSFで、反乱を起こした人工知能搭載の自動車を止めるため市内の信号を全て赤にした、というのがありますが、システムが複雑化するとこういう単純なルールだけでは運用できないのでねぇ。


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