2008年5月12日月曜日

虎の城 / 火坂 雅志



火坂氏が得意とする、活躍の割りに評価されていない人物を主人公とした歴史小説で、藤堂高虎を取り上げています。
藤堂高虎という名前は、戦国末期の歴史小説、時代小説でよく目にはするのですが、どういう人物だったかはさっぱり印象にありませんでした。豊臣恩顧の大名でありながら、いち早く徳川家康に取り入った「寝返り者」というのが世間一般の評判で、それ故あまり取り上げられることがなかったようです。
城造りの名人だったそうで、家康から数々の城の縄張りを任されており、現在も残る名城の多くが高虎の縄張りと差配によるものだそうです。

領地経営においても名君として評されていたようですが、年貢は3割という当時としたら法外なくらいの安い税に、城下町では商人を優遇する税制策を取っており、「よい政治とは税金の安い政治」を誠実に実行していたようです。かといって、領地の整備をしてなかったわけではなく、積極的に港や城下町の整備を行い、領内の経済発展を活性化させており、経営の巧みさも見せております。
この辺りは、今の政治家、官僚はとても足元にも及びませんね。

また晩年、不仲の人物を会津藩主に推挙した時に、回りから不審の問いに
「加藤どのとそれがしの不和は、私事なり。会津入封のことは、これ公事なり。私事をもって公事をさまたげることはならず」
と答えたという件があります。これも今の日本の経営者の方々、部下を持つ立場の方々に、肝に銘じて戴きたい逸話ですね。


虎の城 下 智将咆哮編 (3) (祥伝社文庫 ひ 6-15)


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