テンプル騎士団の財宝というと、ダ・ヴィンチ・コード
本作でのテンプル騎士団の財宝は「イエス・キリスト自筆の日記」で、それをヴァチカンが必死になって存在が知られることを阻むという筋書き。これも結構色々な小説のネタになっています。ナザレの大工が字を書けたのかどうかが疑問だし、当時の紙は羊皮紙で非常に高価だし、インクも高価な時代なので、清貧で慎ましい生活をしていたイエスが日記を残せたとは到底思えないんですけどねぇ。
まあそういう突っ込みは置いておいて、小説としてはなかなか面白かったです。人類にとって宗教が必要か否かで、登場人物達が何度も論争するくだりとかも。
テンプル騎士団の古文書 〈下〉 (ハヤカワ文庫 NV ク 20-2)
高校生の時に「イエス・キリストを信じるか」と聞かれて「イエスの言葉は信じるけど、キリスト教は信じられない。聖書はイエスが書いた物ではないし、教会が自分達の都合のよいように事実を歪めているから」と答えたことがあります。
同じく大学の時に「お釈迦様の教えを信じるか」と聞かれて「今残されている経典は、釈迦入滅後数百年経って書かれて、その間はずっと口伝で伝えられて来たものなので、本当のお釈迦様の教えがそのまま残っているとは思えない」と答えたことがあります。
歴史的に見ても、キリスト教も仏教も、時の権力者の力で利用され歪められ、元の形は殆ど残ってないわけで。日本では「坊主丸儲け」という言葉がありますが、実際この不況でも銀座などで派手に遊んでいるのは医者か坊主だと言われるくらいですが、こういうのは今に始まったわけではなく、平安の昔からあるんですけどね。
信者の方も「お布施をたくさんした人が極楽に行ける」というのを、そのまま信じ込むから余計そういう風になるのですが。TV番組でお宝を鑑定して値段を付けるというのがありますけど、物の価値を金額に換算しないと理解できない人達ばかりだから、人生の幸せも金でしか計れなくなるんでしょうね。
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