2011年1月2日日曜日

倭の正体 見える謎と、見えない事実 / 姜吉云



比較言語学から見た、倭と倭王の謎についての説を語られています。
古代天皇家が、半島王家の親類であったという説はこれまでもあり、それ自体は珍しくはないですが、百済王家、駕洛王家、新羅王家の系図を天皇家の系図と照らし合わせて、各天皇がどの王家のどの王子/姫に当たるかを、比較言語学により綿密に比定されているとことが、これまでにない試みだと思います。
この比定に関しては、私は正しいとかそうではないとかを判断する程には、半島の資料について知識がないので、お説に唯々肯くしかありません。

ただ疑問なのが、日本列島から韓半島への侵略については、何度も「激しい玄界灘を越えて軍団を送る輸送力が古代日本にあったはずがない」と述べられているのですが、その厳しい玄界灘を越える非常に困難な渡海を、古代半島王家と列島王家の王族・貴族が頻繁に行って行き来しているのは不自然ではないでしょうか?
王族が短い期間に、半島から奈良大和へ来て、再度半島に戻る、ということをするということは、実際には半島と列島間の渡海は、ごく普通に行われていて難しいものではなかったのではないかと思います。
だからといって、大和地方から何万人もの大軍を半島に送り込んだとも思いませんけどね。

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