2016年2月20日土曜日
古代倭王の正体 海を越えてきた覇王たちの興亡 / 小林惠子
少し前にもこの方の著書を読んでいますが、古代倭国の王は全て半島出身者で、半島の国王と倭国王を兼任していたという説を唱えておられます。
半島の王国支配者と倭国の支配者が、血縁関係にあったであろうことは、常識的に考えてもあり得ることで否定はできませんが、ほとんどの倭国王が半島出身の騎馬民族系というのは、ちょっと無理がありすぎるんじゃないかなとも思います。
根拠として挙げられているのが、名前の漢字に同じ字がある、名前に読みが同じ漢字が使われている、生まれ年が同じ、なので同一人物だ、というのはいくら何でも短絡過ぎるでしょ。
特に発音が同じ漢字というのも、今の日本人が読んだら同じ音でも、根拠となった文献を記した時代の中国での発音で同じかどうかは不明(少なくとも現代の日本人の発音とは全く異なる発音をしていた可能性が高い)ですから、説としては根拠とは云えませんよね。
名前に同じ字が入っているというのになると、徳川幕府の将軍のほとんどは「家」が付くから、実は家康公が300年生きていて将軍の座に座り続けていた、というのと変わらないでしょ。
それと古代の王家の人が、大陸から半島、列島に、頻繁に行き来しているように書かれているのですが、当時の移動がそう簡単なものではないことは考慮されていないと感じます。
いくら亡命するかといっても、王が単身で逃げるわけはなく、側近やら護衛やらそれなりの人数で移動したはずですし、単身にしても移動中の飲み水や食料などをどう手に入れたのかを考えると、あちらこちらに移動するというのはかなり大変なことで、気軽にほいほいと移動できるものではないんですよね。
この辺り軍隊の移動とかについても同様で、移動するときの食料や飲料水の確保(つまりは兵站)の問題を考えて述べられている、歴史研究家の方はほとんどいないと思います。
この辺りをキチンと考えないと、まともな議論にはならないのですが、現代人はどこへ行っても金さえ持っていれば移動も食料、飲料水、宿泊施設に困らないから、その感覚でついつい物事を捉え勝ちになってしまうのですよね。
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