朝鮮通信使は、江戸時代における日朝平和の印と言われていますが、その実態は日本に対する朝貢使節であったことを説明されています。
確かに、朝鮮から江戸幕府への使節が度々遣わされていますが、逆に江戸幕府から朝鮮への使節は一度も遣わされていません。
但し、対馬藩が朝鮮に使者を派遣しているので、朝鮮側としてはそれを以て日本からの返礼使節ということにしていたのかも知れませんが。
その朝鮮通信使ですが、帰国してから日本での見聞記を発行しているそうですが、どれも日本の街並み広大で豪華なことに驚く様子がある反面、日本での式典の作法や日本人そのものを酷く貶すばかりで、石氏は朝鮮使節の人間性を問われています。
まあ、当時の朝鮮では、中原の偉大なる文明国「宋」の作法に如何に忠実であるかが、文明人としての常識であって、それ以外のものは一切認めないのが真実の儒教の徒なので、日本人が勝手に考えた作法など卑しい非文明人の証拠であると考えるのは当然なんですけどね。
そこから抜け出せた日本は、経済も工業も発展し、西洋文明に触れても直ぐに自分達のものにできたわけですが。
まあ、いずれにしても、半島の人達は朝鮮時代から何も変わっていないということですね。
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