2020年3月24日火曜日

米の日本史-稲作伝来、軍事物資から和食文化まで / 佐藤 洋一郎



米の歴史というのは、実は今でもよく分かっていないことが多いんですよね。
未だに水田稲作は半島経由で列島に伝えられていると信じている人が大半ですが、本書では大陸北部から遼東半島経由で朝鮮半島に稲作が到達した北周りルートを明確に否定されています。
元々は熱帯地方の植物である稲が、寒冷地を経由して到達するのは考えられないからです。
日本人の感覚として、大韓民国の首都でさえ経度が新潟や仙台と同じくらいで、冬になると激寒であるということを思い起こせないんでしょうね。
ましてや北朝鮮の首都で、朝鮮王国の首都でもあった平壌は、秋田辺りの経度です。
今でこそ品種改良で、そのような寒い地方でも育つ稲がありますが、古代にはソウルでさえ稲が育つことは無理だったはずです。

本書で興味深かったのは、古代の精米の話。

稲の穂から籾が付いた状態で米粒を取り外した後、籾を取り除くのをどうするか?
臼と杵で突いて籾殻を外したらしいのですが、その方法だと今でいう「玄米」にはならず、半分精米された外皮が一部剥けた5分付きみたいな状態になるんだそうです。
籾殻だけを綺麗に取り除くというのは、ごく最近の技術だそうで。
そうなると、平安後期辺りの物語に出て来る「強飯」とか「姫飯」は、今まで「玄米を蒸したご飯」と「白米を炊いたご飯」という認識だったのを、考え直さないといけませんね。
弥生時代には、米は玄米で蒸して調理していたと思っていましたが、5分付きくらいなら普通に炊いて調理できます。

その他色々と興味深い話が満載で、日本の歴史に欠かせない稲から、日本の歴史の裏側が見えてきます。
とはいえ、逆に稲/米の謎がより増えた部分もありますが。

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