2000年6月1日木曜日

【BMW雑記帳】SCHNITZER

今日は私の大好きなSchnitzerです。SchnitzerというとAC Schnitzerを思い浮かべる方も多いでしょうが、この2つは別物です。詳しくはまたAC Schnitzer篇で書きますが、今日はレース活動をしていて、一般的にチームSchnitzerと呼ばれている方のチューナーについて書きます。
Schnitzerは元々南ドイツの片田舎のカーディーラーが元になっています。そこが02の頃からBMWの販売を始め、そこの長男のヨーゼフが趣味でBMWを使ってレースを始めます。自身でチューニングしてドライブするわけです。その頃のレースはそれが当り前で、昨日書きましたALPINAもそうだったんですね。で、ヨーゼフはドライビングの腕もよかったため、連戦連勝を重ねるのですが、そうなると運転の腕ではなく車のチューニングがうまいからだろうと、レース仲間からチューニングの依頼が舞い込むようになります。兄弟を巻き込んで、ヨーゼフはレーシングチューンも、商売として行うようになります。
そして、自身のレース活動も発展して行き、一時期はF2にまで出るようになりました。このときなどは、BMWの市販車の4気筒エンジンのブロックに独自開発のDOHC24Vのヘッドを換装していたくらいですから、その技術の高さは並大抵のものではありません。このエンジンはBMWの子会社でレース活動をしていた、M Sport社(現在はM社)に納入され、BMWがF2に出場するきっかけになりました。またこの頃トヨタからの依頼で、セリカベースのターボレースカーを製作しており、ターボチューンに関しても定評があります。
ところが、レース中の事故でヨーゼフは亡くなり、一時期Schnitzerは活動停止を余儀なくされます。が、弟のヘルベルトが兄の意思を継ぎ、レース活動を再開します。M社にも技術を認められ、DTM、ETCのレースカーは開発からレース運営まで、完全に任されるようになりました。
再開した頃、世の中ではALPINAのコンプリートカーが話題になっていました。Schnitzerも、レースチューンを受けている顧客からの依頼を受けて、ストリートチューンを始めます。ALPINAと違い、Schnitzerはパーツ販売も行い、細かな依頼に答えていたので、それなりに話題になりました。また、ビルシュタインと共同開発したサスペンションキットなどは、ビルシュタインもSchnitzerとほぼ同じ設定を採用するなど、技術的にも非常に高いレベルにありました。
評判はよかったのですが、南ドイツの片田舎という地理的ハンデに加え、ヘルベルトが根っからの技術屋で商売が下手なため、販路をうまく築くことができませんでした。その頃、ドイツでも有数のBMWディーラーであったコールが、新たなチューニングブランド確立しようとしていたのです。コールはSchnitzerに目を付け、エンジン関係の開発とSchnitzerのブランド使用の提携を行います。こうしてできたのがAC Schnitzerです。そしてSchnitzerはレース活動に専念することになったのです。
レースに専念することになったSchnitzerは、ツーリングカーレースだけではなく、BMWの四輪のレース活動全般に関わることになり、ル・マンに出場した車もエンジンはSchnitzerがチューニングを行っていましたし、優勝したのはBMWワークスではなく、Schnitzerのチームだったのです。 (ワークスはリタイア。とはいえこちらもエンジンはScnitzerですけど) F1のエンジンチューンとメンテナンスもSchnitzerが担当しています。

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