2013年11月2日土曜日
日本国誕生の秘密はすべて[おとぎ話]にあった / 加治木義博
父親の遺品の蔵書を整理していたら本書が出て来ました。
こういう類いの本を父が読んでいたというのが意外なのと、日本の古代については興味があるので、一つ読んでみるかと手に取りました。
著者は言語復元史学を専門にされている言語学者の方で、所謂「魏志倭人伝」に登場する国の読み方は当時の中国の読み方と発音で読むべき、というもっともな説を元に論を展開されておられます。
ただここで示されている読み方と、逆説の日本史の著者井沢氏が中国の古代中国語の専門家に確認した発音は違うんですよね。
「邪馬台」国ではなく「邪馬壱」国の記載の方が正しいという主張をされているので、「邪馬台」国説を取る井沢氏と読みについての見解が異なっていても仕方はないですが...それにしても「邪馬」の部分を「やま」と読むか「じゃま」と読むかは、その後の解釈でかなり違いが出てしまいます。
また古事記の内容が古代ギリシャ語に通じているという説は、昔別の書物で読んでいてそれ自体は賛成なのですが、卑弥呼が古代ギリシャ人の末裔で金髪の白人だったというのは完全に著者の勘違いでしょうね。
そもそも古代ギリシャ人は黒髪褐色肌というのが通説ですし、現在のギリシャ語圏はギリシャ国だけですが、古代のギリシャ語圏は東アジアを含むかなり広い地域でしたから、ギリシャ語とギリシャ文化が東アジアまで広がっていたのは不思議ではないですし。
また魏志倭人伝の邪馬台国についての記述から、邪馬台国の人口を200万人と推定されているのですが、これはいくらなんでも無茶な試算ですね。
200万人を養うだけの食料が、著者がここが邪馬台国だと比定する南九州で、当時はおろか現代でも確保するのは不可能でしょう。
後の世の唐の長安でも推定80万人〜100万人程度で、都の周辺から調達できる食料の限界でその人口になっていたと言われています。
江戸時代の江戸も100万人都市ですが、こちらも日本全国から米などの食料が集積できたから可能になったのであって、海運による流通が発達した江戸時代だから可能になったわけです。
古代にそれだけの食料調達を可能にする生産力も運輸流通網もあったというのは考えがたいです。
それから考えると、魏志倭人伝の記述を読み解いたと主張されるのは、ちょっと怪しいのではないかと。
それとは別に、邪馬台国は元々「呉」の一族の建てた国だが、呉が衰退したため「魏」に誼を通じるようになったという説を唱えられています。
日本での漢字の音読みには、漢字伝来時の読み方「呉音」と室町時代に留学僧が伝えた「宋音」の2種類があるのですが、古代日本史のどこをみても「呉」と親しかった様子が見えないのに「魏音」ではなく「呉音」というのが不思議だったのです。
が、この説であれば納得できる話ではあります。
「魏」に「呉」との関係がばれると困るので、「呉」との関係を隠した歴史になったということなのでしょう。
それでも、歴史のどこかに「呉」の痕跡が残っているはずですが、それについては何も取り上げられていません。
ま、いずれにせよ、本書の説が邪馬台国の正体の決定版というわけではないと感じました。
納得できる部分もあるのですが、先の通り、いくらなんでもその解釈はおかしくない?というのも結構あるので。
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