幕末 維新の暗号
明治天皇以降、天皇家の血統が北朝から南朝へすり替えられたという説を補完する内容ですね。
元々、北朝南朝の二朝並立になる前から、兄弟喧嘩が発端で両方の血統から交代で天皇を出すという約束だったのを、後醍醐天皇が「退位するのは嫌だ!」と言い出して、自分の血統で天皇位を独占しようとしたのが発端で、完全に分裂することになってしまったわけで。
なので、南朝が正統とする根拠ってのは、実は水戸黄門様が心情的にそう決めたからというだけで、水戸家における長子相続の原理を厳密に実行した黄門様が、次男の血統である南朝を正統とするのも矛盾するんですけどね。
#おまけに後醍醐天皇自身も次男坊で、兄が早世しなかったら天皇位にはつけなかったんだし。
ま、黄門様が南朝を正統としてお決めになって、幕末の志士は大楠公に憧れ、南朝こと正統という思想に固まり、結果「尊皇攘夷」のスローガンの元に孝明天皇を暗殺し南朝の血を引く後の明治天皇を皇統に立て、文明開化として外国と手を結ぶ。
#言ってることとやってることが全くの真逆。
とはいえ、その大革命があったから、明治以降日本は文明国として大躍進ができたわけなのですが。
#幕府体制が存続し、孝明天皇の外国人排斥が続いていたら、日本は英吉利、亜米利加か仏蘭西の植民地になっていたことは間違いないでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿