2015年10月19日月曜日

韓国人は何処から来たのか / 長浜浩明



長浜氏の著作で、書店に置いてあるのがこれしかなかったので、ひとまず最新刊の本書を読んでみることにしました。

一部に著者の感情剥き出しの部分がありますが、おおむね韓国人(朝鮮人)のルーツは本書の述べるとおりではないかと思います。
そもそもDNA調査という動かしようのない証拠があるから、反論のしようもないと思いますが。
それと李氏朝鮮時代までの半島では、徹底的な近親相姦を繰り返して、現代韓国人のDNAは恐ろしい程に均一に揃っているのも驚きです。
現代韓国朝鮮では、同姓同族との結婚はおろか恋愛もしない、というのは日本でもよく知られていると思いますが、その習慣は実は近代に入ってからのものだそうです。
まあ半島の姓はそう多くないので、同姓同族を避けていたら、あっという間に結婚できる相手がいなくなってしまいます。
実際、古代の王家は結婚相手として相応しい地位の人が、そう多くはないので、結果として近親婚が多くなるのが常識で、中世欧州の王家などは各国の王家同士が婚姻関係を結び合って、どの王家の王子王女もいとこ同士という関係になってますしね。(それでも互いに領土を奪い合う戦争がなくならないんだけど)
古代半島の王家の近親相姦系図を示されており、天皇家はそうではないとおっしゃっているのですが、神武天皇から応神天皇辺りまではそうでも、飛鳥奈良時代になると皇后は天皇家の血筋でないとなれないので、従姉妹や叔母、姪との婚姻は珍しくなくなります。
また同父同母の兄弟姉妹は婚姻関係を結べませんが、片親が違う異父母兄弟姉妹の場合は婚姻が可能でした。(現代では認められていませんけどね)
更に藤原氏が皇后を出すようになると、天皇は藤原氏に藤原家の娘を押し付けられ続けるわけですが、その中には自分の従姉妹は当たり前で、中には叔母をと結婚することになった天皇もいたわけですから、天皇家が近親婚関係を行っていないというのは言い過ぎなのではないかと。
百済や新羅の王家が倭人である、ということは、倭人の習慣として近親婚があったから、百済や新羅王家も近親婚を行っていたとも考えられるのではないでしょうか?

韓国語のルーツについても、その成り立ちからして、こちらもおおむね御説最もかと思います。
ただ、半島の百済や新羅で倭語(古代日本語)が話されていたというのは、どうなんでしょう。
確かに日本の人々と半島の人々の間で、言葉は通じていたとは思いますが、それがそのまま半島で日本語が日常語として使われていたということにはならないと思うんですよね。
そもそも日本語にしても、列島の隅々まで共通語(標準語)が行き渡り、通訳なしで各地方の人が話し合えるようになったのは、明治の義務教育制度が始まり、更にラジオやテレビが普及してからで、江戸時代には九州辺りの人が大阪や江戸では(方言による訛りが酷くて)言葉が通じず、通訳が必要だったくらいなのです。
だから古代の半島の住人が、元々は倭人だったとしても、時を経る内に方言として言葉は変化し、別の言語と云えるくらいに変わっていたと考える方が自然だと思います。
なら何故当時の人達が半島の人達と話が通じたのかというと、単純に貴族の教養として同盟国の言葉が話せるのが当たり前だったんではないかと思うんですよね。
平安から室町時代辺りだと、僧侶は中国語が読み書きはできるのが当たり前で、室町以降は留学僧も多かったので会話も当然できる人が多かったし。
現代でも英語なら話せる人は多いわけで、当時の人がマルチリンガルであるのが普通だったという考えが出て来ないのが不思議です。
とはいえ、百済や新羅の言葉がどのような発音、文法、語彙だったのかは、資料が残っていない(残っている文書は全て漢語で書かれている)ので、想像でしか語れないのですけどね。

韓国人が信じ込んでいる壇君神話についても、熊の子孫であると自慢する点について、天皇家は神の子孫であることと比較しておられます。
でも、古事記にも神が蛇の化身だったり、鰐鮫の化身だったりの話があって、その血を皇族は引いていることになっているんだから、壇君神話を笑えるとは思えないんですが...。

真実は真実として解明すべきではありますが、本書はちょっと著者の科学的な証拠から理知的に解明を行うという姿勢から外れて、憶測や伝聞で書かれ、ちょっと感情的になっているところがあるなという感じがしました。

0 件のコメント:

コメントを投稿