2017年8月22日火曜日

蘇我氏と馬飼集団の謎 / 平林 章仁



蘇我氏は継体天皇の時に大臣に抜擢され、そこから躍進が始まったんですね。
「蘇我」の語源は、素戔嗚尊が「すがすがしい」と詩に詠んだ土地名から来ているという説を見たことがあったので、遙か古代からの一族だったと思ってました。
が、どうも古代有力豪族だった葛城氏の傍流だったのが、本家が絶えてから、その後釜として政権中央にデビューしたような雰囲気です。
また、蘇我氏が大王家の馬を飼育する一族を従えるようになり、経済力も得て、一族としての力を蓄えたのではないかという説が述べられています。
(と書くと、ちょっと要約しすぎかも知れませんが)
馬子という名前や、蘇我の血を引く聖徳太子の名前が厩戸皇子なのも、蘇我氏が馬飼と強い関係があったからだという説ですね。
多くの史書を深く読み込まれているようで、裏付けもしっかりとした推論を展開されています。

本文には特に関係ないのですが、聖徳太子の居所が「上宮」と呼ばれていて、当時の王宮の南にあったらしいのですが、歴史家の中には「上というからには北にないのはおかしい」と宣う方がおられるのだとか。
奈良市では、今でも東へ行くことを上る、西へ行くことを下る、というのを知らないんですかね?
或いは、下総が北で上総が南にあることも。

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