2017年10月24日火曜日

古代の技術を知れば、『日本書紀』の謎が解ける / 長野 正孝



古代史の謎は「海路」で解ける (PHP新書)の著者、長野氏の三作目です。
「海路」で解けるは面白いと思ったのですが、続く古代史の謎は「鉄」で解ける (PHP新書)は、うーんそうかなぁ?という箇所が結構あり、本作に至っては、いやいやいくらなんでもそれはそれは違うでしょ、と言いたくなるような内容が多くなっています。
同意できる部分もあるのですが、「空を飛ぶ神なんてあり得ないから、神武天皇は嘘」と切り捨てたりするのは、いくらなんでも短絡的で「技術者」的ではないと思います。
空を翔る「天磐船」なぞあり得ない、というのは今の科学的な見解でしょうけど、日本書記と古事記が書かれた時代に、空を飛ぶ船(しかも岩でできた船)を空想で書けるのか?嘘を付くならもっとそれらしい嘘を付くんじゃないのか?と思うんですよね。
天照大神がニギギの命に三種の神器を下賜するときに「この鏡を我と思い、毎夕にその日にあったことを余さずに、鏡に向かって語れ」というシーンがあるんですが、これを読んだ時には、テレビ電話式の通信機を渡して毎日定時報告を行え、と命令しているシーンしか頭に浮かばなかったんですが、5世紀の人が空想でこういうことを書けますか?
こんなのあの時代にあり得ないから嘘!と切り捨てるのは、あまりにも想像力がなさ過ぎると思います。

更に、日本書記にしろ古事記にしろ「一書に曰く」と異説をいくつも併記しています。
嘘を付くなら、異説をいくつも並べる必要はないでしょうし、しかも実は日本書紀も古事記も、本文だけを追うとさっぱり筋が通らない−というか話が一続きにならないんですよね。
先の天照大神がニギギの命に天孫降臨を命じた箇所は、実は本文ではなく3つめくらいの一書に曰くにある話で、本文だけ追うと天照大神は皇祖神ではなくなるんです。
嘘を書くのにそんな書き方はしないでしょ。

別の箇所で、国産みの神話で丹後地方が出て来ないのは何故か?というのに対して、丹後の研究者の方が「国産みをしたのが丹後だから」と答えておられます。
要するにオノコロ島が丹後であるということらしいですが、そういう説は今回初めて聞きました。
天橋立が天から地上へ降りる階段だから、というのが理由の一つだそうですが…天磐船は嘘だけど、天橋立は真実なんでしょうかね?

海路の説明についても、当時の海の水位が今より高かったことを書かれているのですが、なのに現代の海流や気候を前提にして説を進められています。
水位が違うということは、地球の平均気温が違うということで、つまりは気候も違えば海流も違うということになると思うのですよね。
なので、今は冬に荒れて手こぎ船では渡れない玄界灘ですが、当時は果たしてどうだったんでしょうか?
瀬戸内海と今は海流の変化が激しいですが、当時はどうだったんでしょうか?
古代の水位が高いときの海岸線を再現した資料は一杯ありますが、当時の気候や海流を再現した資料がないので、しかとは言えないのですが。


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