日本語には主語がないとか、表現があいまいだとか言われますが、その言語構造が日本人の性質を形成しているのは間違いなく、それ故に日本語を本当の意味で習得するのは非常に難しいわけです。
日本に生まれ育った我々でも、正確な日本語を話し書けているのかというと、そういうわけでもないですからね。
技術系の仕事をしている上で一番大事なのが、ドキュメントなのですが、仕様や設計の説明を正確な日本語で記述できる人はなかなかいません。
元々、緻密な記述というのが言語構造として大和言葉にはないからです。
それ故、和製漢語とカタカナ外来語のオンパレードになるのですが、用語はまだそれで用を足せても、主語述語の関係が曖昧なままで、例えば「そちらして欲しい」のか「こちらでやりますよ」なのかが文章から読み取れない(どちらにでも解釈できる)書き方が多いです。
通常の話し言葉では主語を言わないので、書き言葉でも主語をすっ飛ばして、それを分かって当たり前のように錯覚するからです。
こういう言語構造を持った言葉は日本語だけで、他にはありません。
SVOC構造が同じという朝鮮語でも、主語を不明確にするような構造にはなっていません。
なので、朝鮮/韓国人と日本人が、話し合って理解できないのも当然なのですね。
#欧米圏の場合も同じことになると思うのですが、そちらは最初から全然別の言語構造と文化なので、日本人に対するのとは別の対応をするので、問題にならないのかも。
いずれにしても、「韓国人も同じ人間だから話せば分かる」と思い込んでいる方は、一度本書を始めとする氏の著書を読んで、自分がとんでもない勘違いをしていることに気が付いてください。
0 件のコメント:
コメントを投稿